塾長プロフィール
略歴
高野かしろう
整体セラピスト
2012年 セラピス・ベイ:エーテル体手術メソッド講座修了
2011年 TFTアルゴリズム・セラピスト
2010年 アプライド・フィジオロジー、基礎コース終了
2010年 ブレインジム・インストラクター
2008年 日本ボディケア学院認定、PNFストレッチ整体師
2007年 タッチフォーヘルスイントラクター
1989年 早稲田大学第一文学部心理学専修卒業大学卒業後、システム・エンジアとして主に外資系証券会社にて、システム開発、ユーザサポートを担当。
2005年より、「タッチフォーヘルス健康法」を中心に、体と心にはたらきかける「キネシオロジー」と呼ばれる分野の様々な健康法を学びはじめる。
10年以上にわたるシステム・エンジニアとしての経験を生かし、様々な整体技術を統合し「システム整体」と名付ける。
2008年より「日々の健康塾」を主催。
システム整体への道のり
1、子ども時代
子どもの頃の私は、体が弱く神経質でいじめられっ子でした。どれくらい弱かったかというと小学生の頃から既に不眠症だったいうと、何となくイメージできるのではないでしょうか。
そんな私でしたが、中学2年生のときから、一念発起して自分の体質を改善すべく様々な整体や健康法を試しはじめます。
一般的な整体はもちろん、マッサージや指圧、気功法やレイキ療法、サプリメントや、運動、ボディーワーク、心理療法や催眠療法等、有名なものからあまり知られていないものまで、本当にいろいろなものを試してきました。
お金も時間もかなり使いましたが、そのほとんどで満足な効果を得られませんでした。効果がないどころか、そのほとんどで、むしろ具合が悪くなってしまうのです。
2、健康法で具合が悪くなる
最初は、私は、その整体や健康法の方に何か問題があるのだとばかり考えていましたが、問題はそんなに単純ではありませんでした。
なぜかというと、私が具合が悪くなっていくそばで、同じ方法でどんどん健康になっていくひとを見ることも多かったからです。
中には、私以外ほとんどのひとで効果があると思われる健康法もありました。
私はといえば、軽い運動や体操ですら、続けているとドンドン調子が悪くなるのです。
私は、悩みました。どうも自分は、珍しい体質で、ふつうの整体や健康法が、かえって害になるようなのです。
20代の半ば頃には、もうそう結論づけるよりしょうがなくなったのですが、さすがにその時は、ショックでした。
幸い、そんなに無理をしなければ、普通に生活していけるので、私の虚弱体質を知る人はあまり多くありませんでした。
むしろ、周りには強がって見せていたので、元気なヤツと思われていたことでしょう。でも実際は、お粗末なものでした。
3、整体と相性
それでも、私は自分にも効果のある健康法を探し続けました。
そして、少しずつ分かってきたのは、整体や健康法には、人によって合う合わないの相性があるということでした。
整体院で「どれくらいで良くなりますか?」と聞いて「ひとによって違います。」と言わることは多いと思いますが、もっと踏み込んで言えば「具合が悪くなるひともいます。」というのが本当です。あまりこのことには触れられていません。
あたりまえのことですが、100%完全な健康法というものはありません。たとえ99%のひとに良い効果があっても残りの1%には害になるということもあるのです。
どうも私は、その数少ない人間のひとりだったようです。
結局、私が自分に合う健康法を見つけるのは30代も後半になってからでした。
4、システム・エンジニア時代
大学を卒業したあと大学院の受験に失敗した私は、しばらくは定職にもつかずブラブラしていましたが、27才のときに思い立ってIT業界に就職します。
以前、大学で心理学を勉強していた私には、目指していた方向と正反対の職場でしたが、就職難の時期、IT業界だけが景気が良かったのと、今までの自分を否定して新規一転やり直すための就職でした。
システム・エンジニアの仕事は、うわさ通り大変忙しくキツイものでした。
毎晩終電で帰り、休日出勤は当たり前、徹夜ももちろんありました。
忙しさのあまり、家庭に問題が生じたり、からだを壊したり、うつ病になる人なども、見てきました。
そんな厳しい仕事に、弱いわたしがどうして耐えられたのかは、良くわかりません。今思えば、それは私が強い怒りを抱いていたからではないでしょうか。
当時の私は、自分の置かれた環境や自分自身の不甲斐なさに強い怒りを感じていました。その怒りをバネに、苦しいときも「なにくそ!」と思ってがんばってきました。
怒りはマイナスのエネルギーですが、追い詰められた人間には大きな力になります。私は、そんな半分やけくそな気持ちを持って仕事に打ち込みながら、成果を上げるようになっていきした。
5、転機
しかし、やはりそれには大きな代償もありました。部下や後輩には怒鳴り散らし、上司や先輩とはケンカばかりしていました。もともと短気な性格は仕事でさらにエスカレートしました。
そんな状態が体にいいわけがありません。私は、システム・エンジニアを辞めた今でも、定期的に内科に通い、血圧をさげる薬を服用しています。
今はだいぶ治まってきましたが、一時は最高血圧が240、最低血圧が180もありました。
そんな中、30代の初めに会社の業績悪化にともなってリストラされたのを機会に、私はITの仕事を続けていくことに疑問を持ち始めます。
結局、システム・エンジニアの仕事はその後も数年続け、40才目前までやっていました。その間に何度か会社を変わったのですが、そのうちの2回はリストラによるものです。
私は、主に外資系の会社で仕事をしていたのですが、外資系は一般に日系企業より給料が高い分、業績が悪いときはアッサリひとを切ります。
6、キネシオロジーとの出会い
成果を上げいい給料をもらう一方、厳しい勤務状況やリストラなどの過酷な環境に、私はだんだん違和感を感じるようになっていました。
「そもそも自分はこんなことを望んでいたのか?」そう考えていたころに、私は「タッチフォーヘルス」という健康法に出会います。
タッチフォーヘルスは、それまで私が体験してきた、どんな健康法や整体とも違うものでした。
やることと言えば、頭にあるツボに軽くふれたり、肋骨の間をゴシゴシこすったりといったことぐらい。マッサージや指圧のたぐいなら、あまりに中途半端な触りかたです。
時間もせいぜい1分間くらい、「こんなことで効くのかなあ」と頭は「?」でいっぱいになったのですが、結果は驚くものでした。
仕事で疲れたモヤモヤしていた頭が急にスッキリする。肩の痛みがフッと軽くなる。鏡を見ると傾いていた首が持ち上がって姿勢まで良くなっている。
ちょっと触っただけでこんなに変わるなんて、正直驚くというより拍子抜けしてしまいました。なんだか訳が分からない。
その日の晩は、久しぶりにグッスリ眠って翌朝もスッキリ目が覚めました。こんなことは、しばらくなかったことでした。
7、独立開業へ
がぜん興味を持った私は、本格的にタッチフォーヘルスを勉強しはじめます。
勉強するなかで、タッチフォーヘルスは、カイロプラクティックの技術と東洋医学の知識を組み合わせて30年ほど前にアメリカで開発された健康法だということがわかりました。
タッチフォーヘルスは、私の仕事でのストレスを解消するのにもずいぶん助けになりました。でも、私の気持ちはすでに、仕事でのストレス解消や自分の健康回復から別の方向へ向かっていきました。
このタッチフォーヘルスのような代替療法のセラピストとして仕事をすることです。
私は、勉強を進めタッチフォーヘルスをはじめとした「キネシオロジー」という代替療法の分野に含まれるいくつかのセラピーの資格を取得しました。
代表的なものが、「ブレインジム」と「アプライド・フィジオロジー(AP)」です。
特にAPは、私の整体の中心技術となっています。
そして、ついに40才を機に独立開業し今にいたっています。
開業にあたって、私はシステム・エンジニアとしても経験を活かし、いままで勉強した様々な整体技術を整理し、自分のようにふつうの整体や健康法に合わないお客様にも役に立つようシステム化しました。
今も、その精度を上げるべく日々努力しています。
「システム整体」の詳しい説明はこちら!
「お問合せ」はこちら!